野生復帰計画は、猟師の仕事づくりや獣肉に関する六次産業化、地域の人材育成・組織づくり、定住促進などを通して、日本中の田舎に野人を増やしていくお手伝いをしています。

豊かな生態系を持つ原生林・芦生の森を、守り生かしながら暮らしてきた「野人」たちと、それを支える「総務屋」が、野生復帰計画のメンバーです。メンバーの過半数は、現役の猟師でもあります。

ここ美山で、自然を守り生かす暮らしを実践しながら、その挑戦や知恵を伝えることで、全国に野人を増やしていきたい。そうして日本全国の田舎を豊かにしていけたらと、私たちは願っています。





社長 青田 真樹

美山に最初に来たのは、学生のとき。キャンプカウンセラーとして、子どもたちを芦生の森に連れて行ったりしたのが最初かな。そこからずっとキャンプや自然にかかわる仕事をしてきて、京都ユースホステル協会の総務部長として働いていた時に、藤原さんから「一緒にやらないか」と声をかけられた。

この地域にすごくこだわりがあったわけではないけれど、誰とやるかは大事かなと思っていた。面白そうな人たちとやるのが面白いんじゃないか、と。たまたま出会った面白い野人たちが、美山に住んでいて、かかわりだしたら面白くなって、ずぶずぶと深みにはまって…。2014年の春には、芦生の集落で育ってきた井栗さんを1期目の社長として、みんなで会社を立ち上げた。

美山の恵みをちゃんと価値にしていきたい。それが、集まった全員の希望。何を商品にするか探していく作業から、最初ははじまった。ガイドツアーをやってみたり米や肉を売ろうかと考えたりしては「これもあかんな」とか。そのうちに獣肉解体施設のコンサルティングが当たり、「これを軸にしてやっていこう」という中で、2016年春から社長を引き継いだ。

僕は、野人のみんなとは違って現場で猟をしたりはしないし、言うなれば「地域の総務屋さん」。みんなの意見やアイデアをまとめて、行政や関係者への企画書を書いて調整して。そうやって現場がやりたかったことを表現して形にして、営みや想いを広げていく。現場の人だけでは進まないことを進めていくために、地域には総務屋が必要なんじゃないか。

今はあちこちの地域から声がかかって忙しくなってきていて、総務系の人材を増やしていきたいと思っている。「マイナス評価がつかないように新しいことはせえへんで、安定して働こう」なんて人が行政なんかでは多いのかもしれないけど、ここで欲しいのは、攻めていける能動的な総務。そういう人を育てていけば、地域はもっとよくなる。

学生のときに演劇をしていた頃も、僕は照明担当で役者を輝かせるための裏方だった。この春から役割上は社長になったけれど、そういう風に野人を支える側・輝かせる側だという気持ちでやっている。地域の外からやってくる、風の人。地域に根差して活動している野人たちは、土の人。自分はその間をつないで円滑にしてゆく「水の人」として、全国の田舎を豊かにしていきたい。

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野人 井栗 秀直

今のままではあかん、おもろいやつらと、おもろいことを仕掛けていかんと…と思っておりましたら、野生復帰計画という会社を立ち上げることになりました。

自分がUターンで芦生の集落に戻ってきた時、地域は元気やった。自分の親父らの世代が、芦生なめこ生産組合っていうのを立ち上げて、売上がどんどん伸びて行って、息子たちを呼び戻してそこに就職させることができた。親父世代が起業して頑張ってくれたから地域に雇用もできたわけや。でも、だんだんと地域は弱ってきてしもた。じいさん、ばあさんばっかりになっていくし、子どもはおらんようになるし。

美山川の一番奥の源流部にある芦生集落の、そのまた一番奥にぽつんと1軒だけ残っているのがうちの家。親父は熊撃ちの名人やった。熊撃ちは冬の仕事なんやけど、冬だけと違うんや。森の中で獣たちがどう暮らしているかっていう気配をずっと1年間感じながら過ごしてるから、冬に熊が冬眠してる穴を見つけることができる。

ほんまに不便な場所なんやけど、ここに踏みとどまって自然の中で生きて来た。自分が子どもの時は薪で生活しとったしな。先祖代々、苦労しながら守ってきた田んぼもある。芦生の集落で、田んぼやっているのんはうちの家だけになってしもうたけどな。

不便な場所やからいうて、放り出してしまうこともできるかもしれん。でも、親父もお袋も悩みながらここで生きて行くことを選んだ。自分もそうや。ここで途切れさせたら申し訳ないっていう気持ちもあるんやけど、それだけやない。こんだけの山奥で生きて行く生活の知恵とか、暮らし方とかっていうのは、今みたいな時代やからこそ大事やと思うんや。なんとか守って行きたいし、伝えていきたいし。そのためにも、おもろいやつらと、おもろいことをやってかなあかんわけや。





野人 大野 安彦

ボクはね、川が大好きなんですよ。アユ釣りも大好きやし、美味しいアユを食べるのも大好きなんですよ。美山川のアユは、ほんまに美味しい。っていうか、美味しかった。そこらへんの川に比べたら十分に今でも美味しいんやけどね、かつての美山川はほんとによかった。天然のウナギもいっぱい獲れたし、マツタケなんかもなんぼでもあった。ボクはそういう自然が大好きやったし、子どものころからずっとその中で育ってきたし、なんとかそういう豊かな自然を残して行きたいと思うんですが、地域の中ではわりとマイノリティなんです。美山川の源流部の芦生の森にダムができるっていう話があったとき、お金と引き換えに原生林をつぶしてしまうっていうのは、絶対やったらアカンことやと思った。お金になればそれでいいっていう空気の中で、自分の想いを貫くっていうのはね、まあ、正直に言うとね、けっこうつらいところもあったかな。

ダム計画の中止がほぼ決定したころに、郵便局員を辞めてね、観光農園江和ランドを立ち上げたんです。都会の人たちに、農業体験もしながら田舎のほんまもんの魅力を知ってもらっていうことがビジネスになれば、自然を守りながら地域を元気にしていけると思った。その想いで 年間、なんとかやり続けて来た。まあね、言うたらヤケクソですよ。過疎化高齢化がどんどん加速していくなかで、自然を守って地域を守って行くって、そんな簡単にできるわけないですから。でもね、やるだけのことをやるしかないんですよ。

この土地で生まれ育った者として、かつての当たり前の暮らし、特にその中にあった郷土食、そういうものを大事に残していきたい。食文化と自然環境っていうのは一体的なもんやからね。たくさんの人に、地域の食材で作った、ほんまに美味しいなっていう料理を味わってもらいたい。ほんまもんを知っている人を増やすっていうことしかないと思うんです。





野人 藤原 誉

そもそも就職活動は一切やらなかった。「自分がこの先少なくとも40年、心の底からやりがいを持って頑張れる仕事は何だ?」大学3年生、二十歳の頃、このことをたびたび自問自答する中で、自ずと出てきた答えが、「豊かな自然のある田舎での自給自足的な暮らし。」だった。もちろん金銭面の事も考えなかった訳ではないが、「自分で家を建てて、農業で飯が食えればそもそもそんなにお金を稼がなくたってやっていけるんじゃないか。」そんなふうに思った。

高校生の頃より環境問題、温暖化といったことに強く関心があり、自分自身も含めての都会の暮らしぶりに疑問を感じていた。そして当時蔓延していた「学歴社会や大企業への就職=安定」といった価値観に対する疑念が大きく、そんな中で大学在学中にはバブルの崩壊から大手銀行の破綻などの社会情勢が重なり、「安定した職業などそもそもあるはずがないんだ。」「戦後わずか50年足らずの常識が、その先永遠の常識であるはずは無い。」という風に自分の想いが確信と変わってきた。

「自分自身が豊かな自然の中で胸を張って生きていけるような暮らしをしたい。」

そんな一途な想いは揺らぐことなく、大学を卒業するとひとまずアルバイトに励み、9月頃にようやく軽自動車を手に入れたその翌日にはテントや寝具そして釣竿を詰め込んで清流の町、美山町へと乗り込んだ。

以来20年、まさに水を得た魚。美山にやって来てから今に至るまで、新しい発見、喜び、そしてやり甲斐に溢れていた。そして何より豊かな自然に生かされているということ実感している。田歌舎を立ち上げて14年になる。自給自足の暮らしを実践・探求していく段階から、自然と共に生きていく力を、より多くの人に伝えて行く時期に来ている。

https://www.facebook.com/homaru.fujiwara



 



野人 鹿取 悦子

島根大学で山村経済学の助手をしていたんだけど、学生に環境問題や食料問題について話しているうちに「こりゃ大学で教えるよりも、自分で田んぼ・畑を作らないと」なんて思いだして。農業と猟と鮎取りしながら生きようと思って、仕事も辞めて、大学時代のフィールドだった美山に戻ったのが2001年。人が過疎化しているのは想定していたけど、ここまで鹿が増えていたとは予想外だったね。

私が美山に来た当初は、45人くらいは猟師がいたよ。怖い人ばっかりだけど(笑)。どんどん辞めちゃったり、亡くなったり、いまや半分だからね。猟は先輩の経験から教えてもらうことがすごく大事だから、ベテランの技術を引き継いでいかないともったいない。美山は猟師が多い方だと思うけど、やっぱり若い猟師を育てていかないといけないよね。

山を覚えるには、ひたすら歩く。それしかない。女性猟師の場合、子育て中のブランクも問題で、やっぱり定期的に猟に行かないと“猟勘”が鈍る。私も、もはや狩猟女子じゃなくって、むしろ狩猟ママ(笑)。子どもの世話して猟に出て、忙しくて大変だよ。でも今は人手不足だし、女性猟師も活躍できるようになってきたんじゃないかな。

鹿の頭数はピークを過ぎたけど、山に餌が少なくて里に降りてくるから、獣害はなかなか減らない。鹿が減ったら、今度は猪や熊も増えてくる。毎年山の状況は変わるし、動物は移動するし、自然の動きをその時その時で的確に捉えて対処しないと、簡単に解決策が出せるもんでもないんだよね。だからこそ、猟師は1つの里に1人はいないと困るなと思うよ。

https://www.facebook.com/etsuko.katori



 

野生復帰計画 会社概要


  会社名
代表者
役員構成




事業内容

所在地
設立
株式会社 野生復帰計画
代表取締役 青田 真樹
取締役 井栗 秀直 (特活)芦生自然学校 理事長
取締役 大野 安彦 江和ランド 代表
取締役 藤原 誉 田歌舎 代表
取締役 鹿取 悦子 (特活)芦生自然学校 理事
監査役 牧 大介 エーゼロ(株)代表取締役
人間の野生復帰のための自然体験プログラムの実施
美山町の地域資源を活かした商品の企画・販売
京都府南丹市美山町内久保池ノ谷36-3
2014年4月1日

 

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